私は幼少期からとにかく何でもできるようになりたかった。
自分へのコンプレックスと負けず嫌いな性格と
できるようになりたいという純粋な好奇心から
興味のあるもの・関心のあるものには
できないかも、、、なんて想像もせず
ひたすら飛び込んで積極的にやっていた。
アオハル時代
学生時代だと、それは習い事、部活、バイトなどに発揮された。
小学生は習い事、中高は部活で明け暮れ、
大学はやってみたいバイト、行ってみたいお店、旅行先など
ありとあらゆるところをやってのけてきた。
勉強はあまり得意ではなく、中学生の頃をピークに本当に勉強ができなかったが
勉強の必要性は高校生~大学の間で実感し、
だからといって学問に励んだかといわれるとそうでもないが
とにかく最低限卒業できるくらいまでは乗り切ってきた。
なんでもできるタイプになった私
そうするとどこかを境に私は
『なんでもできるタイプ』と認知されるようになり、
それは自分でも自覚するようになった。
社会人になると、学生の時以上にさまざまな人たちと関わるのだが
ほんっとうにいろんな人がいる。
自分にとって当たり前に思っていること・やっていることは
他人からすれば当たり前ではないということが明らかになる。
今思えば私はそこにどこか優越感を感じていたのだろう。
ただいつの日か、それは人の優劣ではなく、その人の個性であり
できないことがあっても、自分にしかできないことがあれば問題ないし
『自分のできることを早く見つけて継続的に行う、
あるいは極めている人の方が有利なのではないか』と思い始めた。
なぜならその方が自分ができないことを相手にお願いすることができ、
できることを継続する理由にも繋がる。
また他者と協力しながら行いやすいのと
自分というものを表現しやすく相手にもそれが伝わりやすい。
人間味のある人だと親近感、好感度も持たれやすい。
相手への感謝・敬意も持てるであろう。
また今の時代もそう物語っている。
できないことをできるようになろうというより
できること・得意なことを伸ばそうという傾向にある。
葛藤の時期
そんな世間になってしまった今、私は30歳にして途方に暮れてしまっているのだ。
飛び抜けて何かあるわけでもなく、
それなりに興味のないことでもある一定までのレベルまでできるようになる。
できるというより、こなせるに近い。
だが、これといったものもないため、具体的にどうしたいというのもない。
ただ無理なく生活できるようになりたい、お金に困りたくないだけなのだ。
そのせいで、転職では『この子は才能があるかも』と勝手に期待をされ、
採用し新規開拓の部署などに回され会社の歯車として使われるハメだ。
やらせてみたものの、案の定これといった成果は自分の中では出ず、
私はただその場にダラダラといるだけで、
だんだん焦りや不安、時間がもったいなど、結局続かないのだ。
こうなってしまった以上、自分でもどうしてよいか分からず
ただただ自信を無くしていくのであった。
私はどこかでできないことへのコンプレックスと
『できないとダメなんだ』という謎の使命感・敗北感を
どこかでずっと感じていたのかもしれない。
もしかしたら承認欲求を満たしたいがためだったのかもしれない。
そんな心をどこかで埋めるように私は何でもしてきたのかもしれない。
『こなす』ことはできるが、『特化する』することは私にとっては難しいということがわかった今、
その答えは未だ見つかっていない。
さて、どうしようか。
普通に考えてこの文章の流れだと、
答えや気づきが書かれていそうな感じだが
悲しいことに本当にこれといった答えがないのだ。笑
何かわかった際には、もちろんここに改めて綴ろうと思う。
『あぁ、これが答えだったのか。』と言える日が来るまで
私は今日、明日、1日1日向き合い続けるのである。